変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

問題には配点がある

とある資格を取得するために勉強をしているのだが、思ったように進まない。まあ合格はしないだろうなと思っている。でも勉強って大事やん?とこの歳になって実感するので、合否はあまり気にせず勉強を続けている。

 

それでまあ、一通りのインプットは終わったので、過去問とかをやっているのだが、あまり良い点が取れない。何故取れないのか?原因は二つある。一つは基礎が固まっていないこと。そしてもう一つは、問題の取捨選択をミスることだ。

 

僕が受ける資格試験は、問題の取捨選択がめちゃくちゃ大事だ。簡単に言うと、めちゃくちゃ難しいのに配点が多くない問題というのがあって、そういう問題は捨てなくてはいけない。基礎力とは別に、この問題を捨てるか否か、という判断力が問われている。難しくない問題を確実に解いて合格点に達する、というのが僕が受ける資格試験では大事だと言われている。

 

で、大げさだが、これって人生にも言えるのでは?と思った。たとえば結婚はあまり難しくない割に配点が多いし(とか言いつつ僕は……略)、賢い大学に行くのもコストに見合った配点がありそうだ。逆にたとえば、話したことのない相手に嫌われているのを何とかしても配点は少なそうだし、いじめっ子に復讐をしてもコストに見合った配点はなさそうだ。人生が試験なら、配点が少なそうだったりなさそうな問題は捨てた方がよいし、そこの判断はなるべく正確に出来た方がよいと思う。ここらへんは少なからず合理的になった方がよいと思う。

 

みたいなことを考えたのは、今日嫌なことがあったからだ。以下、この記事を書く直前の心の声。

 

「この悩み(問題)って解決しても大したゲインないんやない!?もやもやするのは気持ち悪いけど、とりあえずそれなりに配点ありそうな悩み(問題)から解決していって、余った時間でそれでも解決したいんやったら取り掛かればよいのでは!?でもこの悩み(問題)、たぶん配点ゼロや!」

 

僕はかれこれ三年くらいポエムを書いているのだが、これって配点あるんですかねえ……。

普通

この町ではこんなことをしない方がよい。

こんなことはしないのが普通なのだから。

都会には色んな人がいると噂で聞いたが、

都会にはこんなことをする人はいるのか。

この町ではこんなことをする人はいない。

 

僕は自分が特別だと思いたいのではない。

僕は自分は大いに普通だと思いたいから、

詩みたいなものをこの町で書いているが、

この町で書くことはおよそ普通ではない。

 

しかしたとえば詩人Lの生まれた町では、

こんなことをするのは普通かもしれない。

こんなことをするのが普通の町に行けば、

僕はその町の音符になれるかもしれない。

 

僕はこんなことをするのを止めないまま、

この町の音符になりたいと思っているが、

さっさとこんなことをするのを止めねば、

この町の音符になれない気がして、僕は、

ひっそりとした夜のバス停で泣いている。

わたしを一生愛せないなら

わたしを一生愛せないなら

自分のペースで生きていけ

わたしを一生愛せないなら

リラックスしてやっていけ

 

わたしを一生愛せないなら

毎日ちゃんとご飯を食べろ

わたしを一生愛せないなら

毎日ぐっすりベッドで眠れ

 

わたしを一生愛するならば

ビスコをひとつくれてやる

わたしを一生愛するならば

カバのうんこを投げてやる

 

わたしを一生愛せないなら

いつまでも元気でいてくれ

わたしを一生愛するならば

かならず地獄へ連れていく

きらい

きらいになるのがきらいなきみへ

きらいになるのをがまんするのは

しんどくないか?

きらいだからというりゆうで

わるさをするのがわるいのであって

きみがだれかを、たとえばあいつを

きらいになるのはわるいことではない

きみがだれかを、たとえばあいつを

きらいになったとして

あいつのことがきらいなのを

あいつのせいにしたら

あいつへのいかりがじぶんのむねに

ささってしんどくなる、でしょ?

だから、じぶんのせいにすればいい

あいつのせいにするのではなく

だれのせいにもしないで

きらいになるのをがまんするのでもなく

がまんしないで、あいつをきらいになって

あいつのことがきらいなのを

じぶんのせいにすればいい

きっと、そのほうがしんどくない

じぶんのせいなのにきらいになるのはおかしい

なんてことはおもわなくていい

じぶんのせいでもきらいになっていい

それに、じぶんのせいだからといって

じぶんをせめなくていい

きらいになるのはわるいことではない

どんぞこ

どんなことをしていたら

どんなことをしていなかったら

どんなことをされていたら

どんなことをされていなかったら

もっとはやくどんぞこから

ぬけだせていただろう、あるいは

どんぞこにおちなかっただろう

そんなことばかり

きょうはかんがえている

 

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ヌンチャク

ヌンチャクはかっこいいけど

わたしたちはヌンチャクの

こいびとになりたいとは

ぜったいにおもわないでしょ

ありえないじゃん

だってヌンチャクだもん

つまり、さ

かっこいいだけじゃ

だめなんだよ

 

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