変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

中年の危機の現代詩 4編

エキセントリック中年っぽい

子曰く、全力少年はやがて、混乱中年になる。中年は宙(ぽっかり)、反響しない粘度でつまらない、心がホラー映画だ!炭酸イズデッド。格差地球で、気の抜けたコーラを飲みつづけている罰だ、原罪がふりかかる。つまる、よりはマシかなもしかして、つまる、だって罰だ、どっちにしろ罰、原罪という積雪はいついかなる時も船にダースで、では?クライシス、尖った課題、これ(内向的ロックンロールドクターストップ嵐ちゃん都落ちの果て、味のしない空洞マイスター)でよかったのか?このまま(の、末路)でいいのか?この人生は何なのか、何だったのか、無意味という落雷、避雷針がナイゾーにささってぬけない、フェイスブックによると友達が海外旅行に行っていた、円安なのに、ねえ、ぼくは、この、それはそれは退屈で、隣の芝生は青みのマシマシ、でおなじみの町(ルサンチマンゴーの名産地)からほとんど一歩も外に出ていないというのに!ぼくは、一体何をしてきて、今、何をしているんだ?この先、どうなってしまうんだ?答えてください、カリフォルニアのボビーオロゴン州知事……プラモデル。この先細りは獣のような、雨上がりの虹(きれい!)。うんざり開脚八方塞がりだ、まったく(拓郎ではない)ぼくの、全部抱きしめて。耐性、既視感のあるものばかり、シャキシャキがしなしなに感じる(あるいは、しなしながシャキシャキに感じない)、かといってこの【激おもんなステージ】から前や横に移動する飛べ!イサミ(勇気)もあずきちゃん(甲斐性)もとんでぶーりん(行動力)もなく、ただただただ嫌だ嫌だ苦しいクライシスしいと絶っ望する日々のなかの顔、みんなってどうなの?平気?と世界中の中年に尋ねてまわりたい、本当に。つまらない、心がホラー映画だ、こんなはずではなかっただなんて、言うつもりはなかった。でも海苔だろう?いたって真剣です。

こんなはずではなかったんですよ。
なかったんですよ。
んですよ……(山にこだまする中年のシャツの袖を、空に向けて燃やしつづける一頭のアシカ→うぉう うぉう いぇい

何だ、プラモデルって。大それた気持ちで文学なんかしたってどうにもならない。だろう?プラモデルなんだ。文学は、プラモデル(趣味なのだ/実存を賭けるな!)。熱量、と種類及び耐用年数を同じくする、幾何学模様のカロリーは、酸化配列、に、過ぎない。プラモデル、プラモ、プテラノプラモ(氷河期の文学)。「愛してる」のひびきだけで強くなれる気がしてもスピッツ!と、愉快なその文字列だけでは、飽きて、持て余した時間に炒められるのだ。ぼくというチャーハン。炒められながらも、大好きだって言わせてほしい、中年を、中年に、中年が、中年の、かけがえのない吹き溜まる日々の一級河川、そうだろう?ぼくたちは、ただの、ボンクラの、河川チャーハンなのだ……は、は、は。これからどうしよう。

貴乃花の虚しさ

虚しみの棒で、つつかれる心臓のヘソをマインクラフト。 貴乃花の虚しさ に共感してしまう村の、酒ばかり飲んでいるたくさんの村長、プライベートジェットで飲酒運転。 貴乃花の虚しさ これ以上の高みはない、というところまで来た人の私。それがエベレストであったか、公園の砂山であったかは分からない(エベレストだとしても、エベレストでなかったりする)。登り人であれば訪れる、ハーモニー皆無の虚風。何のために踏まれて、何をしてメメント。 貴乃花の虚しさ 全ての虚しさは、貴乃花の虚しさである(過言?) 貴乃花の虚しさ が【ぼく】にも……ままならない生。を知らずに笑う【ぼく】を私は見ていると、(【これ】は、一体、何なんだろう……)という、波のねじれが発生して、どうしてなんだ、と、歌う気力も失せた無抵抗の羊飼い、コーヒーと、ラジオと、ジョギング。もう、それしかある。 貴乃花の虚しさ(引退) それは喪失なのか、はたまた解放なのか。登ることで見ないふりをしてきた亡霊の棒、それは虚しみの棒であったが、ドーパミンは力尽きているハリウッドザコシショウの膝、言葉という唯一の友達(嘘だ。私は言葉なんか好きじゃない。ただ、なんか、登りたかったんだ。登らないと、いけないような気がして。それで、てっとりばやく登れるもの、それが言葉だった。だから友達じゃないんだ。言葉を登って、言葉から落ちたんだ(「きみ、言葉を登ったつもりになっていたのかい?あのね、きみは登ってなんかいないよ。言葉を舐めるな!」そう言われたら、ぼくは、そいつの顔を、犬のように舐めてやろう)。哀れだよ。笑ってくれよ。とにかく明るい安村(蛍原ではない)みたいに、とにかく明るく) 貴乃花の虚しさ 彼は相撲が好きだったのか。果たして、果てたかったのか。 貴乃花の虚しさ 誰もが山を見つけられる、山にも山があり、山にも山がある、頂上の景色は、良いかもしれないし、残酷かもしれない。「登り依存症者」は、登ってしまうと次の山を求め、しかし次第に山が少なくなっていく(ように感じられる、のは、快楽が減り、苦しみが際立っていくことと無関係ではない)、時に 貴乃花の虚しさ がひたひたひたと、濡れた足音を立てて、心に忍び込み、肥大する。 貴乃花の虚しさ ああ、糞尿って、松竹梅のどれでもないんだなあ。 貴乃花の虚しさ 香りのない世界を生きている気分はどうだい、山とは土台だった、だって山は土なんだから、抱擁は無意味で、爪の先から涙が溢れている……張り裂けそうな腐ったリンゴ、を頬張る大人が、これもダンスなのだ、と、言い聞かせる……。良い、ダンスは良い、登るよりも踊る方が良いのだ、良い、のだ、絶対に、そうだ、と、人生とは登山ではなくダンス(ていうか、散歩?)と、そう、言い聞かせる……。 貴乃花の虚しさ 【ぼく】の笑い声

詩 恋愛最強説

恋愛は最強。異論は眠れ。好き、好き、好き、チュッ、チュッ。否、キュッ。恋愛は最強。恋愛イズ最強。うーん、愛してる!やりたいことをやろう?何だそれは?恋愛をすれば、全て解決。やりたいこと、探さなくてイイYO。恋愛すればオケーストラ。あーんミカ、好き好き。っぱ恋愛つええ。好きとは最強なのである。麻雀が好き。じゃあ麻雀と恋愛してるじゃん。嘘だよ。麻雀が恋愛に勝てるわけないじゃん。恋愛最強ー!!!恋愛は最強だ。恋愛最強説。私はしませんが、それを知っています。つまり、恋愛が最強だということを。好きって、最強じゃん!!!好きがない、好きがない、どうしよう。だって?パブロピカソの作る豚骨ラーメンかよ。迷走仏の溶鉱炉じゃん。心臓の深層で、求めているものは、100%恋愛なんだよ。何が?好きになりたい!!!好きがほしい。チーズ牛丼?気にならないねえ。なぜって、恋 愛 を し て い る か ら な。恋愛ってマジで最強だわ。そこには必ず、好きがあるから。幸せの川(ハピネスリバー)を泳いでいるのだよ。しないけど、したい。そういうものが、あればなあ。そういうものが、あればなあ。そういうものが、あれバナナ。なあ?恋愛の代わりの、パンティストッキングみたいな。ぷぷっ、ぷー!!!好きだ!!!恋愛は最強。恋愛は最狂(誤字)。恋愛は最凶(誤字2)。馬鹿みてえじゃん。恋愛なんてアホくさ、っていう、ニヒリズム。クソでかため息ですわ。とりあえず、恋愛は最強なんですワ。恋愛できねーなら、できそこないだよ。恋愛してない大統領より、恋愛してる河童の優勝なんですワ。本当ですか?って、それは知らん。ただ、ただ、恋愛が最強だということ。最強だということ。セミファイナルの高揚感。アジフライにマヨネーズ。殴り合いの讃美歌。爪のない山羊座……。どいつもこいつも、恋愛が、恋愛が、趣味(と書いてガセ)???おもろーーーーーーーー!!!恋愛は、本業(マジ)(直腸デストロイ)なんすワ。私はしませんけどね。恐ろしいので。なので、私は最強になれない。だがしかし!!!恋愛が、最強だということを知っている。恋と愛。ちがいのエトセトラ。恋愛。って、最強だねッ!!!恋愛以外よわよわ至上主義は永遠なり、象の皮膚だぜ。よいとま』け、セラセラ。

ウケ道

ウケたかった。それは終わりなきウケの流れるプールをぐるぐる廻っているようなもの。ウケ、に終わりはなく、束の間の安堵があるだけで、またウケたくなって、ウケたとして、束の間の安堵があるだけで、またウケたくなって、という、終わりなきウケの流れるプールを泳いでいた。ウケ中毒、略して宇宙。早くプールから上がればいいのに、いつまでウケ道やってんだ、と、知れば誰もが思うのだろう。ウケたくてウケてホッとして、またウケたくてウケてホッとして、いつまでそれを繰り返すんだ、そもそもそんなにウケないのに、ウケるのなんて十回に一回くらいだ。ウケたとしても一億人に一人くらいだ。まあ、ウケることもある、というのがダイダラボッチのオペラント条件付け、つまりウケ道の遅延、先延ばしロンリー単独大渋滞、それもまたウケ道、人生のメリーゴーラウケンド。撤退、という言葉、飽きという血生臭、卒業、というアイドリングストップ、引退、という波止場、どれでもいいけどどれでもなくて、まあ、なんか、まあいいかな、というタモリ笑っていいとも!)みたいなもので、生産的/非生産的ラインをX軸、自己満足/他者評価ラインをY軸とした時に、ウケ道とは何かという問い、ライト兄弟や、ニコラ・テスラや、カントや、ガウディは生涯童貞だった、という励ましを補助線として、だからウケ道は、生産的/他者評価の枠内にあるでしょう、そりゃ苦しいだろう、という、生みの苦しみと、ウケない苦しみ、という二重の『塗れ』の中でストラグルするという、ポタージュのアルコール9%、大変と見せかけない、きれいな欲望と見せかけ、純粋動物の複雑性を生きる、というウケ道を歩む者の苦しみ、自覚されず、楽しいというだけでは伸びず、ウケ欲と戯れ、足掻き、一円にもならない流れるプールを泳ぎつづけているだなんて、何て無駄なこと!途方に暮れろ!まあでも、それなりにウケることもあったのだし(それはナイス)、ウケないストレスからのウケた時の安堵、は、気持ちのいいものだし(煙草と同じで。って、ウケ道って、煙草と同じなのかよ笑)、筍は美味しいし、でも、アホか、いつまでやってんだ、というか、だから、というか、まあいいか、という軟着陸あるいは諦観で、いいのではなかろうか。だから、ウケ道の選手から、ウケ道の駄菓子屋でちっさいヨーグルトを食べる人、くらいな感じで、いいかも、というか、ええかな、というか、まあ。潰れるまで戦ってしまえよ、とは、無益なミッションインポッシブル。