変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

基準

夏の暑さもピークをすぎたような気がするが、まだ油断はできない。しかし油断しようがしまいが、猛暑がやってくるか否かには何の関係もないので、テレビコマーシャルで宇宙人に呼びかけるのが、宇宙人を呼ぶには最も効果的だ。暑いと呼吸がしづらいのだと、よく理解した。あの逃げ場のない、巨大なジップロックに閉じこめられたような感覚を、私は忘れないだろう。本当に夏が嫌になってしまった。嫌いなものが一つ増えた。らっきょうと、中西と、小川と、新井と、夏。私はそれらが嫌いである。

 

大学を卒業して、社会に出る前、私はコピー用紙にあるメモをして、ペンケースのなかにしまった。そして苦しくなったときにはそのメモを読んで、不安定な心を落ち着かせていた。もうそのメモはなくしてしまったが、たしか「自分の基準と社会の基準はちがう。自分の基準を大切にしよう」というようなことを書いた記憶がある。社会を怖れていたので、そんな自分に対するおよそインチキな肯定手段として、そのメモは機能していたのだろう。

 

社会の基準ばかりを採用していれば、自分をなくしてるっていうかね(旭美容外科の院長のモノマネ)、苦しくなるだろう。しかし自分の基準ばかりを採用していては、社会から疎外されてしまう。自分の基準と、社会の基準。どちらにも振り切ってしまわず、自分の基準をベースにして、社会の基準をある程度つまんでやっていくのが、良いのではないかというようなことを、足の爪でイカダをつくる芸術家であるアシノツメ・デ・イカダツクールさんが国会中継で言っていたけれど、本当にその通りだと思う。アシノツメ・デ・イカダツクールさんはすごい。

 

数年前、アシノツメ・デ・イカダツクールさんがテレビコマーシャルで宇宙人に呼びかけた結果、大量の宇宙人が地球にやってきて、なんか色々あって、地球は様変わりした。以前は犯罪とされていたことが、現在では善行とされている。暴力は善行である。なのでチンピラがでかい顔をしているが、それは今も昔も変わらない。チンピラは生まれつき顔がでかいのである。

 

蝉の声が聞こえる。私は冷蔵庫型の自転車に乗り、即興でオリジナルの歌を歌いながら、講演会場へ向かう。真芸術家オシリノケ・デ・キキュウツクールとして、「社会との付き合い方」について、安藤サクラ8万人を相手に、お話をするのだ。待っていろ、安藤サクラ8万人。