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「街場の文体論」感想文

最近、書くことには意味があるのだと思っている。それは社会にとって意味があるというのではない。私にとって意味がある。書くということは読まれるということだ。たとえ誰にも読まれなかったとしても、読むことができるものを私たちは書く。読むことができないものであっても、それを目にする人は「読むことができない」ということを読み取っているという点を考慮すれば、書かれたものはすべて読むことができると言える。

少し前まで、私は私にとって書くことには意味がないと思っていた。作家が書くことには意味がある。けれど私が書くことには意味がない。そう思っていた。なぜそう思っていたのか。恐らくは私の書くものに対して、私は1ミリも自信をもてなかったからだと思う。なぜ1ミリも自信をもてなかったのか。理由はきっと一つだ。「宛て先」をどうすればよいのか分からなかったからだ。人は何かを書くとき、「宛て先」がなければならない。

私が書けなかったころ(今も書けないけれど)、とあるウェブサイトでこういう企画があった。それは、3年後の自分に手紙を書こうという企画だった。書いたものをそのウェブサイトに送れば、3年後にその手紙がメールで送られてくるというものだった。就職活動が上手くいかずに悲観的になっていた私は、3年後の自分を「宛て先」にして書いた。なんかめちゃくちゃ書けた。内容は要約すると「何があっても俺はお前の味方だ」というようなことだったと思う。書いていて泣きそうになったのを覚えている。そして3年後、本当にメールが来た。ちゃんと読めたし、感動もした。今思うと、私が当時手紙を書いていたときの「宛て先」は3年後の自分だけではなくて、そのウェブサイト(の人たち)でもあったのだ。「宛て先」が3年後の自分だけでは、そこまで書けなかったと思う。いや、全然書けなかっただろう。書けたとしても読むことができるもの(リーダブルなもの)であった可能性は低い。書き手であった私にとって3年後の自分というのは「架空の宛て先」であり、本当の「宛て先」は(当たり前だけれど)そのウェブサイト(の人たち)だったのだ。では「架空の宛て先」は必要ではなかったのかといえば、そうではない。むしろ書くためには必要なものだった。

たとえばお世話になった人に手紙を書く、というようなテレビ番組があるとする。この時に手紙を書く人にとっての「宛て先」はお世話になった人なのだろうか。お世話になった人というのは「架空の宛て先」だ。手紙を書くためにお世話になった人を「架空の宛て先」にしているのだ。本当の「宛て先」はテレビを観ている人たちだろう。書かれたものはお世話になった人に向けた内容になっているけれど、それはお世話になった人に読んでほしいのではない。よくそういう体になっているけれど、読んでほしい(聞いてほしい)のはテレビを観ている人たちだと私は思う。ここらへんは力不足で言葉足らずになるのだけれど、お世話になった人に対して真剣に心を込めて手紙を書いているとしても、その手紙の内容がテレビで放送されると書き手が分かった瞬間に「宛て先」はテレビを観ている人たちになる。そして「宛て先」があることで書き手に読むことができるものにしなくてはという意識あるいは無意識が働き、結果として読むことができるものになる。

このたとえでは、お世話になった人という「架空の宛て先」がなければテレビ番組は成立しないので、「架空の宛て先」は必要だということになる。このたとえに限らず、書くときは誰しもがほとんどの場合、意識していようがいまいが「架空の宛て先」を設定していると思う。「架空の宛て先」のない書き物は絵に近く、詩と呼ばれるのかもしれない。書くことの基本として「架空の宛て先」は必要であり、「宛て先」は読むことができるもの(リーダブルなもの)にするために必要なものなのだろう。ラブレターのような「架空の宛て先」と「宛て先」が一致する場合もあり、そういった場合には「宛て先」があるにも関わらず読むことができないもの(読むに堪えないもの)になってしまうのはなぜだろう。何となく答えはあるのだけれど、もう寝る時間なのでまた機会があれば書きたいと思う。(少しだけ言えば、「宛て先」は一つよりも複数の方がリーダブルになるように思う。)

『街場の文体論』の具体的な内容に触れていないような気もするけれど、気にしない。最後に引用を。

僕は「書く」ということの本質は「読み手に対する敬意」に帰着するという結論に達しました。それは実践的に言うと、「情理を尽くして語る」ということになります。

『街場の文体論』を私が理解できたのかは分からないが、面白かった。何より、久しぶりに最後まで本を読むことができて嬉しかった。もう一度読もうと思う。

街場の文体論 (文春文庫)

街場の文体論 (文春文庫)