変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

明るい陰キャさん

海なんて行ってない
十年行ってない
地元に住んでるのに
夏祭り行ってない
中学以降行ってない

年も年だし
結婚しなきゃだけど
恋人いない
八年くらいいない
八年前の元恋人には
自己主張がなさすぎる
つって振られた
知るかボケ

ないないない
なんにもない
なんて言ってもウケない
そういうの大体ワンパターン
かまってほしいだけ
じゃあどうすればいいの!?

上手くできないのに
上手くやろうとしてる
できてる感を出そうとしてる
そんな人が無理でした
自分を見てるようで
でも今は受け入れられる
というかむしろ好き
ちょっぴり大人さ
本当に?
まあ……ね……☆

日陰を明るく生きていく
描いていた自分ではないけど
けっこういい気がしてる
いや全然良くないんだけど

全然良くないんだけどね!?

徒然

お祭りは中止らしい。台風が来ているみたいで。私は行かないからべつにいいのだけど、楽しみにしてる人もいるだろう。残念ですな。花火はちょっと見たかった。行かなくても家から見えるのです。貴族なのでね。お祭りをする予定だった会場とお祭りに来る人が通るであろう道の両脇には数日前からスポンサーの名前の入った提灯がぶら下がっていて、夜になるとそれなりにきれいで、妊婦さんのお腹のなかもこんな感じだったらいいなと思う。最後にお祭りに行ったのは中学3年生くらいで、それきり行ってない。自意識が邪魔をするし、今でも邪魔をしているから。あと一人で行っても虚しくなるだけだし。

 

お盆休みは五日間だ。もう4日目でつらい。明日は台風が来てどこへも行けないので、今年は大学の友人と遊んだだけで終わりそうだ。とはいえ十分だ。鉄板焼きを食べて、ダーツをして、北新地のシガーバーで葉巻を吸った。十分だろう。楽しかった。もう100%楽しいなんてことはないだろうから、十分なのだ。私は病気になったりしてわりと絶望的な20代を過ごしたし、彼らとは道程が違いすぎるから、合わない部分があるのはしょうがない。それに彼らだって病気はしていなくても色々あっただろうし。それぞれの道を進んでいる者が束の間集まれるということだけでも十分だろう。みんな色々ある。

 

仕事が始まったらまず請求書を書かなくてはいけない。めんどくさい。あと最近所有することになった土地に電柱が立っているから敷設に関する承諾書を書かないといけない。催促の電話が何度もかかって来るのだけど、めんどくさいので無視してる。あと予備校に申し込まないと。通信にするか通学にするか迷ってる。通学だと往復で3時間かかるけど有名な先生らしいから悩んでる。それくらいか。今年の試験はたぶん落ちてる。ああ、資格関係では本業とはべつにバイトを始めようかと思ってる。それなりに不安はあるけど、リスクをとらないリスクもあるし。人生は暇つぶしなのだけど、ある程度真剣に取り組んでいないと内側から食べられてしまって良くないので、どうでもいいと叫びたい気持ちもあるけど、現実をやっていかないといけない。少なくとも今はそう思っている。

 

 

おしりがかゆくて救急車

かなりおいしい星くずを

ひとり占めする真夜中に

となりの部屋では父親が

あやしい草をすっている

 

ここはトンネルであり橋

通行料はワイルドキッス

ふしぎな夢のなかでさえ

馬肉のことをかんがえる

 

つづきが気になる十二巻

十三巻までまてない私は

通天閣をポキッとしたい

おしりがかゆくて救急車

 

天才たちは未来のために

凡人たちは今のためにだ

色々あっても関係なしに

宇宙のすそはすりきれる

死ぬまでロックで走りたい

死ぬまでロックで走りたい

願いはもはやそれしかない

死ぬまでロックで走りたい

あとは何でもどうでもよい

 

死ぬまでロックで走りたい

他人にとやかく言われても

死ぬまでロックで走りたい

生まれや育ちは気にしない

 

死ぬまでロックで走りたい

いくつになっても無様でも

死ぬまでロックで走るため

うどんをすすった甲州街道

 

死ぬまでロックで走るため

本当の本当に懺悔がしたい

死ぬまでロックで走るため

古いギターを十字架にする

新時代

本当のやさしさについて考えていると、ポットのお湯が緑色になっていくのを感じます。まだ残っているギリギリで君が抵抗している、身体を持ってしまったことを窮屈に感じている、脳の限界と戦っている。恥ずかしい姿を見せないようにすれば、本当のやさしさは遠ざかっていき、傲慢でセルフィッシュなやさしさのようなものがポンポンと出てきて気持ちの悪い三角形の球体を飼っている、滅びゆく家。やさしさを求めてうろつく野犬のように、お金を払って、やさしくしてもらう。そのやさしさが本当ならば、いやきっと、それが本当のやさしさなのだろう。本当のやさしさの姿はみにくい。どこにでもある利害で結ばれたやさしさこそが本当のやさしさなのだろう。あるいはやさしくできないことこそが本当のやさしさなのだとしたら、君はどうしよう。蟻が働いている休日の概念もなく、生物界はブラック企業。行動はすべていやしい、ただそこにあるものだけが(たとえば乳房であり、葉桜である)純粋だけれど、純粋なものは量が少ないので、みにくいけれど潤うもの(化学調味料のような)を摂りこんでなんとか生きている報われない人の幸は道路の隙間から光っている比喩としての瞳を、こんがり焼いた占いを頼りにしている。やさしくないことはやさしいことだと言い聞かせながら内向的な君に、声をかけたくて、令和。

きれいになりたいな

ひとつ落ちれば 汚れてしまう

普通は落ちれば 汚れてしまう

きれいなものは 落ちていないもの

汚れたものは 落ちたもの

 

今日もどこかで きれいなものが

汚れたものに 落とされている

また落ちた また落ちた

繰り返されて こんな社会

 

汚れてしまった 私や誰かを

慰められるのは きれいなもの

きれいなものを 落としたくて

きれいなものに 慰められたくて

 

あいつの汚れを 見つめると

私の汚れが 浮かんでしまう

無視はできても 消せはしない

もうあの頃には 戻れない

 

虫を踏んづけながら 空を見上げて

私、また 一周回って

きれいになりたい なりたいな

ホップステップ 棒棒鶏

 

言葉のうしろ

ハンマーみたいな言葉はいやだな。たとえそれがやさしさだとしても、ハンマーみたいな言葉はいやだな。「くたばれ」という言葉のハンマーでたたかれるのはもちろんいやだし、「すごいね」という言葉のハンマーでたたかれるのもいやだな。ハンマーがいやなんだから、それにどんなラベルをつけても、ラベルがどれだけやさしくても、いやなものはいやだな。ケーキみたいな言葉はすきだな。たとえそれがきびしさだとしても、ケーキみたいな言葉はすきだな。「すごいね」という言葉のケーキをくれるのはもちろんすきだし、「くたばれ」という言葉のケーキをくれるのも意外とすきだな。ケーキがすきなんだから、それにどんなラベルをつけても、ラベルがどれだけきびしくても、すきなものはすきだな。だから言葉の意味はすききらいにはじゅうようじゃなくて、その言葉のうしろにあるカタチやアジがじゅうようなのだろう。