変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

おしりがかゆくて救急車

かなりおいしい星くずを

ひとり占めする真夜中に

となりの部屋では父親が

あやしい草をすっている

 

ここはトンネルであり橋

通行料はワイルドキッス

ふしぎな夢のなかでさえ

馬肉のことをかんがえる

 

つづきが気になる十二巻

十三巻までまてない私は

通天閣をポキッとしたい

おしりがかゆくて救急車

 

天才たちは未来のために

凡人たちは今のためにだ

色々あっても関係なしに

宇宙のすそはすりきれる

死ぬまでロックで走りたい

死ぬまでロックで走りたい

願いはもはやそれしかない

死ぬまでロックで走りたい

あとは何でもどうでもよい

 

死ぬまでロックで走りたい

他人にとやかく言われても

死ぬまでロックで走りたい

生まれや育ちは気にしない

 

死ぬまでロックで走りたい

いくつになっても無様でも

死ぬまでロックで走るため

うどんをすすった甲州街道

 

死ぬまでロックで走るため

本当の本当に懺悔がしたい

死ぬまでロックで走るため

古いギターを十字架にする

新時代

本当のやさしさについて考えていると、ポットのお湯が緑色になっていくのを感じます。まだ残っているギリギリで君が抵抗している、身体を持ってしまったことを窮屈に感じている、脳の限界と戦っている。恥ずかしい姿を見せないようにすれば、本当のやさしさは遠ざかっていき、傲慢でセルフィッシュなやさしさのようなものがポンポンと出てきて気持ちの悪い三角形の球体を飼っている、滅びゆく家。やさしさを求めてうろつく野犬のように、お金を払って、やさしくしてもらう。そのやさしさが本当ならば、いやきっと、それが本当のやさしさなのだろう。本当のやさしさの姿はみにくい。どこにでもある利害で結ばれたやさしさこそが本当のやさしさなのだろう。あるいはやさしくできないことこそが本当のやさしさなのだとしたら、君はどうしよう。蟻が働いている休日の概念もなく、生物界はブラック企業。行動はすべていやしい、ただそこにあるものだけが(たとえば乳房であり、葉桜である)純粋だけれど、純粋なものは量が少ないので、みにくいけれど潤うもの(化学調味料のような)を摂りこんでなんとか生きている報われない人の幸は道路の隙間から光っている比喩としての瞳を、こんがり焼いた占いを頼りにしている。やさしくないことはやさしいことだと言い聞かせながら内向的な君に、声をかけたくて、令和。

きれいになりたいな

ひとつ落ちれば 汚れてしまう

普通は落ちれば 汚れてしまう

きれいなものは 落ちていないもの

汚れたものは 落ちたもの

 

今日もどこかで きれいなものが

汚れたものに 落とされている

また落ちた また落ちた

繰り返されて こんな社会

 

汚れてしまった 私や誰かを

慰められるのは きれいなもの

きれいなものを 落としたくて

きれいなものに 慰められたくて

 

あいつの汚れを 見つめると

私の汚れが 浮かんでしまう

無視はできても 消せはしない

もうあの頃には 戻れない

 

虫を踏んづけながら 空を見上げて

私、また 一周回って

きれいになりたい なりたいな

ホップステップ 棒棒鶏

 

言葉のうしろ

ハンマーみたいな言葉はいやだな。たとえそれがやさしさだとしても、ハンマーみたいな言葉はいやだな。「くたばれ」という言葉のハンマーでたたかれるのはもちろんいやだし、「すごいね」という言葉のハンマーでたたかれるのもいやだな。ハンマーがいやなんだから、それにどんなラベルをつけても、ラベルがどれだけやさしくても、いやなものはいやだな。ケーキみたいな言葉はすきだな。たとえそれがきびしさだとしても、ケーキみたいな言葉はすきだな。「すごいね」という言葉のケーキをくれるのはもちろんすきだし、「くたばれ」という言葉のケーキをくれるのも意外とすきだな。ケーキがすきなんだから、それにどんなラベルをつけても、ラベルがどれだけきびしくても、すきなものはすきだな。だから言葉の意味はすききらいにはじゅうようじゃなくて、その言葉のうしろにあるカタチやアジがじゅうようなのだろう。

詩集を販売しています。

poems.booth.pm

 

詩集を販売しています。いつかしたいな~と思っていたことがとうとう実現できた!やったぜ!……という気持ちにもあまりならず、やっぱりやってみないことにはやってみた後の気持ちなんて分からないもんだよな~と思っています。あと全然売れない。まだ販売を開始して丸一日くらいなのですが、たぶんこのまま一つも売れないんだろうな~。値段は1200円です。た、高い!詩集なんてただでもらっても嬉しくないのに、んなもんに1200円も払う人間なんかどこにいるんだ!あほか!でも、でもな~、この詩集をつくるのに4年くらいかかってるんだよな~。僕的には一億円くらい回収しないと割に合ってないと思ってるので妥当な値段だと思ってるのですが、消費者目線で考えるとやっぱ高いよな。死ぬほど無名な人間の詩集に1200円も出せるか!値段を下げるかいっそ無料にしてしまおうかという考えもあるのですが、なんかこう対価を得たいっていう気持ちがあるのですよね。まあこのまま売れない状態が続けば検討しようかなと思っています。しかし先ほども少し書いたのですが、やってみないことには分からないことだらけだよな~。販売前は自分の詩集はまじで世界一面白い詩集だと思っていたし(まあ今も多少は思っているのですが)、いくつか無料で読めるようにしているのでそれを読めば買ってくれる人がいくらかいるよな~だって素晴らしいポエムだもの!と思っていたのですが、販売を始めてからは自分のポエムってもしかして大した価値がないのではないか、とやや悲観的になっています。ただなんせ僕は陰キャらしく表現に関しては自信家であること(それ以外がゴミなので表現に関してはたとえ下手でも自信を持っていなければ絶望の淵ででうんこを漏らしてしまう)に加えて、詩集をつくるのに4年という歳月を費やしていることもあって「この詩集はすごい」という自信と「どうやら違うっぽい」という悲観がせめぎあっています。この詩集に大した価値がないのなら僕の4年間はなんだったのだ!まあいいんですけど。大体そういう人生ですから、僕の場合は。……でもやっぱり詩集で1億円稼ぎて~!わざわざ新しい口座を作ったんだよ!?もしかすると一篇だけじゃ分からないかもしれないけれど、全部読めばすごいって分かるよ!????という訳で買ってください。よろしくお願いします。

いや、友だちはいるだろ。

「友だちはいらない」という意見をけっこう目にするのだけど、いや、友だちはいるだろ。友だちがいないのは寂しいだろ。あと「友だちはいらない」という意見を言ったり書いたりしてる人のなかには友だちがいる人もけっこういる。そういうのはやめろ。本当に友だちがいない人間(つまり俺)を馬鹿にしてんのか。このファッション野郎いい加減にしやがれ。友だちの定義とか、そういうのはもういいから。友だちではない定義をはっきりさせよう。

 

まず「友だちとされる人」は友だちではない。「友だちとされる人」は外側から見た条件が成立したときに友だちだと判定される「友だちのように見える人」であって友だちではない。いつも学校から一緒に帰ってるから友だちだという訳ではない。毎週一緒に遊んでいるから友だちだという訳ではない。友だちは主観的に決めるものだ。客観的に決められる友だちって何だよ馬鹿。なので一方が主観的に友だちだと思っててももう一方は主観的に友だちだと思ってないパターンが少なくない。気を遣って「友だちのように見える人」のロールを演じなくてもいい。わがままかもしれないけど俺はそう思う。なんで無償で何かしらのロールを演じなくてはいけないのか。対価を寄こせ。「友だちはいらない」と言う人の何割かは「友だちのように見える人」のロールは演じませんよと言っている。けどそのことを上手く表現できず出力された時に「友だちはいらない」になってしまっている。なるべく出力はちゃんとやれ。「友だちはいらない」訳がないだろ。友だちは欲しいだろ普通に。気兼ねなく喋れて酒飲んだりテキトーにゲームとかしたりできる人は欲しいだろ。お前は欲しくないのか?俺は友だちが欲しいぞ。

 

友だちだと思っていた人にひどいことをされたり裏切られたりして傷ついてもう「友だちはいらない」と出力ミスでなく言っている人もいるかと思うのだけど、たしかに傷つくくらいなら友だちなんていらないな。友だちなんていらないぜ。というかぶっちゃけ俺も「友だちはいらない」と思ってしまうのだけど、そもそも俺は友だちの作り方が分からなさすぎてこじらせた結果「友だちはいらない」に行きついてしまったから本心としてはめちゃくちゃ友だちが欲しいんだよな。あ、ロールは演じませんけどね。ていうか友だちの作り方って何だよ。小学生か。友だちの代わりに5000兆円でもいいな。それだと5000兆円がいいな。5000兆円くれ~~~~~~~~~~~~!!