変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

わたしの名前は野崎です

わたしに家はありません

家はたくさんありますが

わたしの家はありません

わたしは今日も野宿です

 

わたしに家はありません

社会がわたしを拒むので

わたしに家はありません

わたしの名前は野崎です

 

わたしに家はありません

わたしは社会が怖いので

わたしに家はありません

わたしは今日も野崎です

 

わたしに家はありません

わたしはいつも野宿です

わたしに家がなかろうと

わたしはいつも野崎です

 

俺が考えた最強のグラビアアイドルの名前

「他人なんかほっとけ」みたいなニュアンスのことを言う人をたまに見かけるけど、その意味が何となく分かった。「他人の期待なんか気にするな」とか「他人が望む俺の姿なんか知ったこっちゃない」ってことだったのか。俺は前世でもニートをやってたのか?というくらい当たり前とされることが分かってない。

 

「他人なんかほっとけ」は言葉がきついし、きつい言葉は敬遠しちゃうけど、本質としては間違ってない言葉だと思う。だってある程度は他人のことをほっとけないと、ブレてしょうがないし、ブレてたら何も出来ない。俺の人生は俺のものだコノヤロー!

 

他人が「お前は間違ってる」って言ってきた場合、俺には三つの選択肢がある。一つは「俺は間違ってる(かもしれない)のか、そうか……」となるパターン。二つは「俺が間違ってる訳ないだろ死ね」となるパターン。三つは「(……我はゴボウ也)」となるパターン。で、一つ目になっちゃう人は生き辛いだろうし(俺は基本これで、大抵の言葉は受け入れてしまう体質のようだ)、二つ目が出来る人は生き易いだろうけどこういう人になりたいかと言うとなりたくないので、俺的には三つ目が正解だと思う!(別にゴボウじゃなくてもいい)

 

何が言いたいかと言うと、

 

俺以外の人が俺について何を言おうと勝手だが決めるのは俺だし俺において俺は王だから俺は俺についての言葉は全て命令ではなく一意見としか受け止めないし俺以外の人の意見なんて俺の意見に比べたら蟻とマンモスくらい重さに違いがある!

 

です。人間関係は貿易。黒字にしよう。

 

タイトルの『俺が考えた最強のグラビアアイドルの名前』は、森鉄子

怪々バナナはいかがですか

怪々バナナはいかがですか

とても甘くておいしいです

怪々バナナはいかがですか

これはあなたの大好物です

 

怪々バナナはいかがですか

とても貴重なバナナですよ

怪々バナナはいかがですか

おゆずりするのは特別です

 

怪々バナナはいかがですか

あ、ちんこではないですよ

怪々バナナはいかがですか

変な想像はやめてください

 

怪々バナナはいかがですか

一つ百万円でいかがですか

怪々バナナはいかがですか

今なら鎖鎌をおつけします

ゲイツへ

よければミーにくれないか

ユーの所有している資産を

よければミーにくれないか

株とか絵画とか不動産とか

 

よければミーにくれないか

ふざけたお願いだけれども

よければミーにくれないか

半分ふざけているけれども

 

よければミーにくれないか

ユーの所有している資産を

よければミーにくれないか

対価は「笑顔」でどうかな

 

よければミーにくれないか

いまは愛より資産がほしい

よければミーにくれないか

もう労働はうんざりなのさ

幸せ

幸せは、短くて

だれにも

知られない

幸せは、匂いのない

良い匂い

幸せは、何というか

ふぉよぉ

というようなもの

嬉しい時は

嬉しいと嬉しいの

スキマに

悲しい時は

悲しいと悲しいの

スキマに

幸せは、スキマに

やってくる

 

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問題には配点がある

とある資格を取得するために勉強をしているのだが、思ったように進まない。まあ合格はしないだろうなと思っている。でも勉強って大事やん?とこの歳になって実感するので、合否はあまり気にせず勉強を続けている。

 

それでまあ、一通りのインプットは終わったので、過去問とかをやっているのだが、あまり良い点が取れない。何故取れないのか?原因は二つある。一つは基礎が固まっていないこと。そしてもう一つは、問題の取捨選択をミスることだ。

 

僕が受ける資格試験は、問題の取捨選択がめちゃくちゃ大事だ。簡単に言うと、めちゃくちゃ難しいのに配点が多くない問題というのがあって、そういう問題は捨てなくてはいけない。基礎力とは別に、この問題を捨てるか否か、という判断力が問われている。難しくない問題を確実に解いて合格点に達する、というのが僕が受ける資格試験では大事だと言われている。

 

で、大げさだが、これって人生にも言えるのでは?と思った。たとえば結婚はあまり難しくない割に配点が多いし(とか言いつつ僕は……略)、賢い大学に行くのもコストに見合った配点がありそうだ。逆にたとえば、話したことのない相手に嫌われているのを何とかしても配点は少なそうだし、いじめっ子に復讐をしてもコストに見合った配点はなさそうだ。人生が試験なら、配点が少なそうだったりなさそうな問題は捨てた方がよいし、そこの判断はなるべく正確に出来た方がよいと思う。ここらへんは少なからず合理的になった方がよいと思う。

 

みたいなことを考えたのは、今日嫌なことがあったからだ。以下、この記事を書く直前の心の声。

 

「この悩み(問題)って解決しても大したゲインないんやない!?もやもやするのは気持ち悪いけど、とりあえずそれなりに配点ありそうな悩み(問題)から解決していって、余った時間でそれでも解決したいんやったら取り掛かればよいのでは!?でもこの悩み(問題)、たぶん配点ゼロや!」

 

僕はかれこれ三年くらいポエムを書いているのだが、これって配点あるんですかねえ……。

普通

この町ではこんなことをしない方がよい。

こんなことはしないのが普通なのだから。

都会には色んな人がいると噂で聞いたが、

都会にはこんなことをする人はいるのか。

この町ではこんなことをする人はいない。

 

僕は自分が特別だと思いたいのではない。

僕は自分は大いに普通だと思いたいから、

詩みたいなものをこの町で書いているが、

この町で書くことはおよそ普通ではない。

 

しかしたとえば詩人Lの生まれた町では、

こんなことをするのは普通かもしれない。

こんなことをするのが普通の町に行けば、

僕はその町の音符になれるかもしれない。

 

僕はこんなことをするのを止めないまま、

この町の音符になりたいと思っているが、

さっさとこんなことをするのを止めねば、

この町の音符になれない気がして、僕は、

ひっそりとした夜のバス停で泣いている。