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小心者のブログでごんす。パラノイア的な

自己肯定感とそれに似た言葉

自己肯定感について書きたくなった。なぜ書きたくなったかというと、有名なブロガーの方が「私の使っている自己肯定感の意味と他の人が使っている自己肯定感の意味が違っているようだ」というようなことを書かれていて、僕はそれを読み、自己肯定感という言葉の意味をイマイチ掴みきれていないのは僕だけではないのかもしれないと思ったからだ。僕は自己肯定感という言葉の意味が分かるようで分からないので、自己肯定感という言葉は使えそうで使えない言葉ランキングの上位にある。

 

なぜ自己肯定感という言葉の意味が分かるようで分からないかというと、たぶんだけれど、自己肯定感に似たような言葉があるからだと思う。たとえば自己愛という言葉があったり、自己正当化という言葉があったりする。曖昧な表現になってしまうけれど、「いい感じ」なときに、これが自己肯定感かなと思っていたら、自己愛や自己正当化だったというパターンがわりと多くて、「自己肯定感って何だよ!!!」となる。

 

あくまで推測なのだけれど、自己愛や自己正当化という言葉を使うと、相手はネガティブな気持ちになりやすいのに対し、自己肯定感という言葉を使っても相手はネガティヴな気持ちにあまりならないように思う。私がだれかに「自己愛が強い人ですね」と言うときは、少しは嫌味のつもりなのだろうし、「それは自己正当化ですね」と言うときは、負かしたいという気持ちが少しはあるだろう。一方でだれかに「自己肯定感が高いですね」と言うときは、おそらく相手を褒めていたり、羨んでいるときで、「自己肯定感が低いですね」と言うときは、相手の相談に乗っているときのように思える。私は自己肯定感という言葉を、意味が分かっていないため使えないので、あくまで推測なのだけれど。

 

これら(自己肯定感、自己愛、自己正当化)は、「自分を認めるために必要なもの」という点では同じだけれど、「自分や他人が損をする可能性があるかどうか」という点では自己肯定感とその他(自己愛、自己正当化)は違っている。たぶんだけれど、自己肯定感が高くても、だれも損をしないのだと思う。一方でたとえば、自己正当化(「俺は悪くない!」etc)というのは、自分を白(シロ)にすることでだれかを灰色や黒(クロ)にしてしまう可能性がある。また、自己正当化をすることで周りからの信頼を失い、自分が損をしてしまうという可能性もある。

 

自己肯定感が高くても、だれも損をしない。そうであるならば、もしかすると、曖昧な表現になってしまうけれど、自分が「いい感じ」なときに、その「いい感じ」が自分を含めただれかに損(傷つけたり不快にさせたり、も含む)をさせてしまうかどうか、あるいは損をさせてしまった結果としての「いい感じ」なのかどうかを判別することができれば、その判別を繰り返すことで、自己肯定感という言葉の意味が掴めてくるのかもしれない。