変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

新時代

本当のやさしさについて考えていると、ポットのお湯が緑色になっていくのを感じます。まだ残っているギリギリで君が抵抗している、身体を持ってしまったことを窮屈に感じている、脳の限界と戦っている。恥ずかしい姿を見せないようにすれば、本当のやさしさは遠ざかっていき、傲慢でセルフィッシュなやさしさのようなものがポンポンと出てきて気持ちの悪い三角形の球体を飼っている、滅びゆく家。やさしさを求めてうろつく野犬のように、お金を払って、やさしくしてもらう。そのやさしさが本当ならば、いやきっと、それが本当のやさしさなのだろう。本当のやさしさの姿はみにくい。どこにでもある利害で結ばれたやさしさこそが本当のやさしさなのだろう。あるいはやさしくできないことこそが本当のやさしさなのだとしたら、君はどうしよう。蟻が働いている休日の概念もなく、生物界はブラック企業。行動はすべていやしい、ただそこにあるものだけが(たとえば乳房であり、葉桜である)純粋だけれど、純粋なものは量が少ないので、みにくいけれど潤うもの(化学調味料のような)を摂りこんでなんとか生きている報われない人の幸は道路の隙間から光っている比喩としての瞳を、こんがり焼いた占いを頼りにしている。やさしくないことはやさしいことだと言い聞かせながら内向的な君に、声をかけたくて、令和。