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変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

線を引く

ちょっと前に、HSP(ハイセンシティブパーソン)関連の本を読んだ。それによると、HSPの人というのは相手と自分の境界線が曖昧になってしまいがちらしい。僕がHSPかどうかは分からないけれど、境界線が曖昧になる感覚は何となく分かるような気がする。なので個人的なメモとして、ここに境界線が曖昧になることについて書いておこうと思う。テキトーなことを書くので、テキトーに読み流してほしい。

 

境界線が曖昧になると、だれかと話すときに意図せず相手の気持ちが入ってくる。相手の気持ちが入ってくることと、相手の気持ちが分かることは違う。前者はおそらく錯覚によるものであり、後者はおそらく経験によるものだ。あと、相手の気持ちが入ってくることと、相手の立場を考えることは違う。前者はおそらく性質であり、後者はおそらく技術だ。

 

たとえば誰かに一千万円を貸してほしいと言われたら、貨せないし貸さないのが(高須クリニックの院長とかは別として)普通だと思うけれど、境界線が曖昧だと、意図せず相手の気持ちが入ってきてしまい、相手の気持ちがたくさん入ってくると、相手の気持ち≒自分の気持ちのようになってしまい、そして、相手の気持ちは自分の気持ちも同然なのだから、相手の気持ちを満たそうとしないのはおかしい、相手の気持ちを満たさなくてはいけない、みたいになって借金してでも一千万円を貸そうとする可能性がでてくる。やばい。

 

相手に一千万円を貸してほしい場合でも同じように、意図せず相手の気持ちが入ってきてしまい、相手の気持ちがたくさん入ってくると、相手の気持ち≒自分の気持ちのようなってしまうので、貸してほしくても頼めない。相手から一千万円を借りるということは、相手の気持ちにマイナスを生じさせることなので、それは自分の気持ちにマイナスを生じさせることとほとんど同じだからだ。

 

下手をすると、無理をしてでも一千万円を貸してしまう。でも一千万円を借りることはできない。頼むこともできない。境界線が曖昧な人は、傍から見れば「お人好し」に映ってしまうかもしれない。でも実際は「お人好し」ではなく、相手と自分の間にちゃんと線を引けていないだけだ。念のために言っておくけれど、この文章はテキトーに書かれている。僕はこの文章をほとんど勘で書いている。

 

ちゃんと線を引くことは、心を閉ざすことではない。そして線を引かないことは、心を開くことではない。ちゃんと線を引いた上で心を開くことはできる。相手の気持ちが入ってくる(と錯覚する)のはしんどい。気持ち悪い。だから相手と自分の間にちゃんと線を引こう。相手を何とかするよりも、自分がちゃんと線を引けるようになることの方が現実的で、これから多くの場面で役に立つだろう。

 

ちゃんと線を引く練習として、次にだれかと話すときは、相手と自分の間にとれたてのマグロを置いてみようと思う。

 

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