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変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

しょうがねえ

長い間そこに住んでいたら、そりゃあそこを中心にして考えてしまうだろう。そこが嫌になってそこではないどこかへ行く、なんていうのも結局、そこが出発点になっているし、あなたがそこにそれなりに長い間住んでいたら、逃れようもなく、あなたの中心はそこにある。

 

あなたとあなたのクローンがいて、三才までは同じ場所でくらして、そこからあなたは地球、あなたのクローンは火星でくらすことになったとして、十年後、あなたとあなたのクローンの考え方が同じであるはずがない。当たり前だ。僕はどうして当たり前のことをこんなに分かりにくく書いているのか。人は環境に左右される生き物だ、と一行書けばすむ話なのに。

 

トランプとその家族について。選挙でトランプは問題発言とかしまくっていたから、トランプの家族は、応援したくないなとか、こいつが勝ったらやばいなとか、思うこともあったと思う。でもやっぱり彼らの今の地位とか収入ってトランプによるものが大きいし、トランプと一緒にいる機会とかも多いし、まあ家族だし、となると彼らは良くも悪くも、トランプをひいきしてしまう。トランプの家族にとって、トランプをひいきしないことは、子供っぽいことなのではないかと思う。守るものもあるだろうし。トランプを応援したくないという思いが沸いてきても、「愛」でのりこえる、とかではなくて、「しょうがねえ」という呪文みたいなやつを心のなかで唱えることでやりすごしたのではないか。意識的に、あるいは無意識に。そして「しょうがねえ」という呪文みたいなやつを唱えることで荒れそうな(あるいは荒れた)気持ちをやりすごす人はトランプの家族にかぎらずけっこういて、そういう人たちが社会を支えている部分は少なからずあるように思える。教師の「しょうがねえ」があれば、生徒の「しょうがねえ」があり、金持ちの「しょうがねえ」があれば、貧乏人の「しょうがねえ」がある。妻の「しょうがねえ」があれば、夫の「しょうがねえ」があり、マジョリティの「しょうがねえ」があれば、マイノリティの「しょうがねえ」がある。僕の「しょうがねえ」があれば、あなたの「しょうがねえ」がある。「しょうがねえ」によって、なんとか社会は維持されていたりする。

 

一番しんどいのは、「しょうがねえ」と心のなかで唱えても意味がないときだ。「しょうがねえ」と心のなかで唱えて意味がある(すこし安定したりする)のは、現状において、それなりにメリットがあるときだ。メリットとデメリットを天秤にかけて、ほぼ完全にデメリットが勝っているなら、「しょうがねえ」と心のなかで唱えても意味がない。たとえば、仕事が苦ではないというメリットと、拘束時間が毎日十二時間で日曜しか休めなくて給料が月に一銭だというデメリットを天秤にかけると、お金に余裕のある人以外は、ほぼ完全にデメリットが勝つと思うので、「しょうがねえ」と心のなかで唱えても意味がない(やせ我慢みたいになってしまう)ので、状況を変えたほうがよいように思える。

 

「しょうがねえ」の反対は「やっぱりおかしい」とか「このままではいけない」だろうと思う。人間は矛盾しているのが普通らしいので、一人の人間のなかに「しょうがねえ」と「やっぱりおかしい」「このままではいけない」があるのは普通だと言える。音楽でたとえると、ベースとかドラムが「しょうがねえ」で、ギターとかボーカルが「やっぱりおかしい」「このままではいけない」だ。ベースもドラムも大事だし、ギターもボーカルも大事だ。

 

あなたがいい音楽を鳴らせることを僕は願っている。