変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

「やる気」に対する違和感

アルゼンチンで暮らし始めてもうすぐ三ヶ月。日本を恋しく思うこともなくなり、異国での生活にすっかり慣れてしまった。ルームメイトのヨランダが優しくて本当に良かった。彼女の作るチュッパチャプスの丸焼きは最高だから、あなたにも食べてほしい。仕事にもありつけたし、新たな人生のスタートとしてはまずまずだ。

 

私のしている仕事はすごい楽なのだけれど、やっぱりその分、給料はすごい安い。私に寄付をするための財団を誰かつくってほしいくらいに安い(?)。とはいえ、私はあまりお金に執着がないので、隣の芝生を青く感じさえしなければ、まあ気楽なものだ。

 

不思議に思うのは、私はいますごい楽な仕事をしているのだけれど、それと同じくらいの楽さで私よりたくさんお金をもらっている人がいたり、逆に私よりしんどい仕事をしていて、私よりも安い賃金しかもらえていない人もいるということだ。まあ、そう思うのも勉強不足だからなのだろうけれど、たぶん説明されたところで、納得はしないような気がする。正直、コンビニの店員さんとか、もっとお金をもらってもおかしくないのにと思うし、逆に会社の社長とか経費でえっちなお店に行ったりしていてずるいなあと思う。

 

タイトルのことなのだけれど、「やる気」って必要ですか?と私は思っている。自慢になるけれど、私は「やる気」がなくても足し算はできるし、引き算もできる。二足歩行だってできるし、漢字だって書ける。それに足し算を覚えるのに「やる気」を必要としなかったし、それは引き算にも二足歩行にも漢字の(読み)書きにも言えることだ。それらは「やる気」ではなく「好奇心」によってできるようになったのではないか。

 

と、まあ半分は冗談なのだけれど、少なくとも私の中で「やる気」は「空回り」の原因になるもので、あまり良いイメージがない。私には、「やる気」にまつわることでとても嫌なパターンがある。それは、「やる気」がなさそうに見えてしまうことを恐れて「やる気」があるように見せようとして本来の力を充分に発揮できなくなり、しかも他人には私が本当には「やる気」がないことを見破られていると私が妄想してしまってもうどうすればよいのだー!となってしまうパターンで、要するに「空回り」なのだけれど、これはあるあるなのだろうか。とにかく私は「空回り」が大嫌いなのだけれど「空回り」しやすいタイプなので生きるのがつらい。生きるのつらい絶対殺すマン来てくれー!(知らない人は検索してね!)まあ、言いたかったのは「やる気」が善だとするのはちょっとおかしいぞ、ということです。

 

あとアルゼンチンの国民的アイドル、ホセロペ・クルスのグラビアを見ていて気付いたのだけれど、私はおっぱいよりもおしりに興奮するらしい。