変なポエム。など

小心者のブログでごんす。パラノイア的な

音楽の子ども

月がくしゃみをしたとき
ギターをさわっていた射手座の子が
父と母によって、音楽を聴くこと、演ることを
禁じられてしまった。

 

その子はそれから
他の子が音楽を聴いたりしているのを
うらやましいと思いながら
頭のなかで、音楽を鳴らしていた。

 

十代になると
他の子たちは恋愛に夢中になった。
けれどその子はまだ、音楽から離れられなかった。
クリスマスもバレンタインも、頭のなかで音楽を鳴らしたり、音楽のことを考えたりしていた。

 

その子は友だちと遊ぶとき、いつも上の空だった。
友だちを失うことはさみしいから、思い出してははしゃいでいた。
あとになってみると
はしゃいでいたのは嘘かサービスで、さみしいということだけが本当だった。

 

十代を終わらせるために
その子は悩んでいた。
音楽はもう、ほぼすべてになっていた。
頭のなかでは、四六時中、音楽が鳴っていた。

 

十代を終わらせるために
自分のなかにある何かを、終わらせなくてはいけない。
恐ろしくて曖昧にしているけれど
それは明らかに音楽だった。

 

なぜ、と何度も問いかけた。
なぜ大好きな音楽を終わらせなくてはいけないのか。
牡牛座のおじさんに言われたことがある。
「他の子とずれている感じが気持ち悪いんだろ。」

 

ずれているということ。
それはその子に音楽がい続けるかぎり、つきまとうかもしれない。
だから父と母は、音楽を聴くこと、演ることを禁じたのかもしれない。
社会で生き残るということは、そういうことなのかもしれない。

 

このとても広い地球で、その子は
まだ出会っていないだけかもしれない、
ファンキーでホットでクールなカレーライス系の人たちに。
だから音楽を終わらせる必要は、ひとつもないのかもしれない。

 

「きれいでいたかったからだよ。」
その子がおじさんになったとき、そんな台詞を吐くとき
彼の十代は終わるだろう。
そしてまた、新しい十代が始まる。